お料理 納屋孫

納屋孫のこと


納屋孫

納屋孫の写真 納屋孫日記2(納屋孫主人のひとりごと)

『納屋孫』のこと
近江商人の町「五箇荘」は東を琵琶湖に注ぐ愛知川、西を近江源氏佐々木氏の居城観音寺城址で 今は西国第三十二番札所「観音正寺」がある繖山、北を聖徳太子創立の湖国十一面観音第九番霊場「石馬寺」がある、 同じく繖山の山並み、南を箕作山に囲まれた風光明媚な地にございます。

近江商人は室町時代に発祥し行動は俊敏で利に聡く江戸時代には伊勢商人と共に 多くの豪商を生み今も当時の白亜の土蔵や舟板塀が連なる街並みを、この「五箇荘」に保存いたしております。

その街並みの中で私ども『納屋孫』は近江商人の旧家をお得意様として 暖簾を守りつづけてまいりました。なんでも「五箇荘」の地は江戸時代、 特別の経済力がありましたそうで江戸幕府の直轄地となっておりまして 「金堂」というところには代官所があったとのことでございます。 その代官所にも私どもが御用達しておりまして天保二年に、 お料理を納めさせていただいたことなどを記した文書の数々が残っております。 それから考えますと私どもは二百年そこそこ前には、すでに「五箇荘」の地で業を営んでいたということでございます。

日の本一の琵琶湖の近くの料亭、仕出し屋とすれば、 やはり淡海の魚を商っていたのでございましょう。今も私ども『納屋孫』では鯉の筒煮、鮒の洗い、 諸子の魚田、鰻の蒲焼に四季折々の湖魚のお料理を、そうそう子持ちニゴロ鮒を近江米で漬け、 約3年熟成した鮒鮓も一味ちがう秘伝の味で守りつづけております。 そして、もう一つ質素倹約を旨とする近江商人のお相手をさせていただいているせいでございましょうか、 はたまた近隣のお寺様の御用達をさせていただいているせいでございましょうか、 私どもでは胡麻豆腐、精進鰻、五色なますなどなどの精進料理も相伝いたしております。

私ども『納屋孫』は江戸時代から秘伝の味を伝え継ぎ、 現代のみなさまの、ご要望に応え、 絶えず新しい味の探求にも精進を重ねてまいる所存でございます。 『納屋孫』のこと、かわりませぬお引き立てにあずかりますよう伏してお願い申し上げます。

お料理『納屋孫』亭主敬白

孫兵衛と納屋孫の屋号について

イラスト

納屋孫の写真 納屋孫に先祖代々より残る記録によりますと、江戸時代中期の文政3年(1820年)以前に「孫兵衛」の屋号で五個荘のこの地で創業致しました。

「孫兵衛」の屋号は、江戸時代中期以前の創業以来のもので「納屋孫」のもうひ とつの屋号として今でも皆様に使われ、引き継いでいる屋号です。 創業当時は、近江商人の町「五箇荘」にて旧家のお得意様や江戸時代天領であっ た五箇荘金堂に大和郡山藩の陣屋があり、そこの御用達そしてまた、近隣の寺院 などにも御用達としてお料理を方々に納めさせていただいたとの記録が残されて おります。

今では「納屋孫」と「孫兵衛」を別の屋号と思われている方もおられる様ですが 納屋孫は「孫兵衛」「納屋孫」と二つの屋号で呼んでいただき、創業当初より二 百年以上続いています先代からの味を守りながらこの地で営ませていただいてお ります。

「納屋孫」は、近年(1800年代後半)からの屋号ですが、創業から続く江戸時代からの「孫兵衛」の屋号でも同時に今でも呼ばれて使われている言われです。 今後も「納屋孫」の屋号と同じく「孫兵衛」の屋号でも引き続きご愛顧いただき ます様お願い申し上げます。



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